松本雄一郎商店

マツモト物置のすべては、フジ産業株式会社の創業当時からの精神です。
どのようにしてカタチになったのか、想いと事実を語ります。

1975年10月 東京都生まれ。同年5月にフジ産業が創業、またイナバ物置は
2月に誕生した。
大学卒業後、大手住宅メーカーで営業を経験し、
フジ産業㈱へ入社。
工事部で物置の工事から始めて、
6ヶ月で物置メーカーの全国組立競技会で優勝。

マツモト物置の製造・販売・広告など全てのクリエイティブディレクター。

好きな食べ物:お赤飯、おいなりさん

好きなものは、との問いに少し考えて、「STAR WARS」と答えた。何故かというとバランスがいいからと。
確かにご本人も強面の発言と邪気のない破顔、強引さと気遣う繊細さ。真剣さとユーモア。その独自のバランス感覚は、絶妙だ。
裏表のなさそうな声の大きさや正義感は尊敬する父親譲り。もう一人尊敬する人は坂本龍馬。
健全な業界のためにも強いリーダーシップを発揮してほしい。

週刊エクステリア(株式会社協報)
取締役 企画部長 滝沢 伊佐子

物置が好き、だから楽しい物置を作りたかった。

物置という製品は、メーカーがどんなに品質と耐久性に優れた物置を製造しても家電や自動車とは違い、各部材セットでお客様のところへ届く商品なので、物置の品質と耐久性は50%しか成立していません。それを私たちが各部材セットをトラックに積み込んで配送し、1,000軒あれば、1,000通りの現場で物置を組立工事していきます。

そしてキチンと組立工事をすることによって、はじめて物置の品質と耐久性が生かされます。ですから、物置は製造するメーカーが50%・施工会社が50%、合わせて100%になるわけです。私たちフジ産業は、企画デザイン・製造・配送・組立工事まで自社社員で一貫して行うことこそが、お客様にとって一番満足していただける物置だと信じております。それがマツモト物置です。

「オドロキ モノオキ マツモト物置」
というキャッチコピー。

最初のマツモト物置(MA)から、さんかく屋根の物置でやってみたいと決めていました。 しかし、現時点では国内物置メーカーで、さんかく屋根の物置を開発しているメーカーは1社も無く、参考にする物置も特に無く、私がエンピツで描いた図面で技術部と設計部にお願いするしかなかった。

他の国内物置メーカーはみんな四角い物置で、扉の色だけ選べるのがスタンダードです。あとは生産面や採算面も考えて、共通部材を多くし製品化をしています。そういう同じような物置はやりたくなかった。マネだけは絶対にしたくなかった。

では、どうやって他と違う物置を造るかと考えた時に、生産面とか採算面とか共通部材を多くした方がコストが安くできるとか、そんなことを優先して造るので あれば、結局は同じ四角い物置になってしまう。他と同じことをやっても、お客様や世の中に認めてもらうことは絶対無理だから。私としては今までにない物置 を造ることで、物置業界をビックリさせようという気持ちの方が強かった。まだ物置が完成してもいないのに「オドロキ モノオキ マツモト物置」というキャッチコピーは決めていたので、その通りの物置にしたいという気持ちしかなかった。

組立完成価格やアフターフォロー、自社配送・自社工事というマツモト物置独自の販売スタイルは、当社にしかできない大きな特長のひとつで、他のメーカーの 方にも褒めていただけます。しかし、当社は物置メーカーの代理店として、その特長を創業当時から当たり前のように42年間やって来ただけなので、その特長 をマツモト物置として見えるカタチにしたとしても、私たちにとっては別に特別なことでも何でもありません。

フジ産業が世間に必要なのかどうか、
決めるのはお客様。

今までの当社は物置メーカーのトップ代理店としてやってきたので、メーカーが開発した商品を我々が販売して組立工事をするというやり方だけでしたが、私た ちがマツモト物置としてメーカーにもなり、そういったトップ代理店としての考えや対応を全てマツモト物置に取り入れ、デザイン以外の価格・組立工事・アフ ターフォローまでを製品化するという事で、お客様に喜んでいただければ本当に嬉しく思います。

私の父が創業したフジ産業に入社して15年ほど経ちますが、物置メーカーのトップ代理店としての評価ではなく、フジ産業自体がどのような評価を、お客様・世間 からいただけるかをとても知りたかった。やはり世の中で必要とされてる会社というのは永遠に生き続けることができると思いますが、世の中に必要とされな くなった会社や仕事は衰退していくだけだというのが、私の個人的な考えにあります。今まで当社がやってきたこと全てが評価されるかどうか。フジ産業という 会社が世間に必要な会社なのかどうか、それを決めるのはお客様であり世間なのだと思います。

だからマツモト物置はデザインが他とは違うというアピールもありますが、自社責任施工や年中無休などの会社の特長、そういったところも含めて世間にどう評 価していただけるかという事を私としてはチャレンジしてみたかった。そして、それを証明したかった。チャレンジだけで終わらせるのではなく。何がなんでも 証明しなければいけないと思った。私はその事がマツモト物置を始めた大きなキッカケです。何がなんでもフジ産業という会社を世の中に認めて欲しかった。今 の代理店だけの状況では決して分からない。もちろん、いろんな販売店様があって、フジ産業を必要としてくれるから40年以上やってこれたと思います。しか し、代理店だけの状況ではメーカーあっての代理店としか評価されないことが多い。だから当社はマツモト物置を販売したおかげで、お客様から「マツモト物置 を買って良かった」「デザインがいいね」と言って頂けると、とても嬉しく思います。その気持ちは絶対に 忘れてはいけないと思います。どんなに会社が大きくなったとしても、それだけは忘れてはいけないというのは毎日思います。

私も会社から給料をいただいていますが、会社からお金をいただくとか世の中からお金をいただくという事は本当に大変なことだと思います。その中で「マツモト物置が欲しい」と言って買ってくださったお客様たちには本当に感謝の気持ちしかありません。 他の物置メーカーも素晴らしいものばかりですが、その中でも選んでくれるということは非常にありがたいと思います。

マツモト物置なんて名前はやめなさい。

この話は社内でも知られていませんがマツモト物置の詳細は、基本的に当社の設計・技術と工場しか知りませんでした。それで発売前に社長に見ていただく事に なり、発売の2ヶ月前に工場に行きました。その行きのクルマの中で社長が「お前そういえば名前どうするんだ。セイリ-ハウスにするのか」と聞いてきまし た。日本で最初の物置の名前「セイリーハウス」は当社が使用できる権利があるので、私も最初はそれでもいいと思いました。

しかし、先ほども言いましたが自分の中では、フジ産業を世間に認めてもらいたいという思いがあるのに「セイリ-ハウス」なんて目白製作所の誰かがつけた名前をこれ以上使用するのは私はもう嫌だとも思い、社長に「セイリーハウスにはするつもりはありません」と伝えました。

社長が「じゃあ、どんな名前にするんだ?」と聞くので私が「マツモト物置です」と答えたら「そんな名前はやめなさい」と言われ、さらに「マツモト物置なんていうのは絶対やめたほうがいい」と強く言われました。 何故かといえば当社は物置メーカーのトップ代理店としての立場もある。さらに当社は年中無休・自社工事部・配送工事は在庫を持って対応する、そんなシステムを持って対応するメーカーは他にない。それで当社がメーカーになれば当然、物置業界からの風当たりが強くなる。「マツモトの名前をつけると、苦労するのはお前自身なのだから」という気持ちで反対していたのだろうと思います。でも私は社長から何を言われても名前は、マツモト物置に最初から決めていました。

工場について社長がMAを見た瞬間「あぁ、この物置はいいな」と言いはじめて、マツモト物置の名前の話はどこかにいってしまいました。 最後には「この物置なら業界に革命が起きる」と当社の物置の神様が言っていました。 それからもう社長はマツモト物置に関して一切何も言わなくなりました。 この会社に入社して社長に褒められたのは、物置メーカーの組立全国競技会で優勝した時とマツモト物置を発売した時くらいだと思います。「よく考えて、よく作ったね」と。

マツモト物置の基本的な考え方。

物置という製品は、メーカーがどんなに品質と耐久性に優れた物置を製造しても家電や自動車とは違い、各部材セットでお客様のところへ届く商品なので、物置の品質と耐久性は50%しか成立していません。それを私たちが各部材セットをトラックに積み込んで配送し、1,000軒あれば、1,000通りの現場で物置を組立工事していきます。そしてキチンと組立工事をすることによって、はじめて物置の品質と耐久性が生かされます。ですから物置は製造するメーカーが 50%・施工会社が50%、合わせて100%になるわけです。私たちフジ産業は、製造・配送・組立工事・アフターフォローまで自社社員で一貫して行うことこそが、お客様にとって一番満足していただける物置だと信じております。

だから「オドロキ モノオキ マツモト物置」という冗談のようなキャッチコピーかもしれませんが、そのオドロキというのは『他にはないものを造る』という基本的なコンセプトがあります。どうしても物置は鉄の四角い箱になってしまうので、完全に違う物置を造るというのは本当に難しいとは思いますが、他にはないデザインや販売方法にしても、配送・組立工事・アフターフォローまで、全てにおいて他とは違うあたらしい物置を造ることができたのは、フジ産業が40年以上やってきたことすべてです。

でも、そのマツモト物置の考えをつくったのは、私ではありません。確かにマツモト物置にその考えを取り入れたのは私です。しかし、そこまで考えたのはやはり当社の社長であり、私の父です。マツモト物置でフジ産業が今までやってきたことを世間に認めてもらうチャンスが来たと思いました。

松本とマツモト。
そして発売3週間前に火事発生。

2010年に自動車メーカーの社長がリコール問題で米国の公聴会に出席した時に、「すべての車には私の名前が付いている。車が傷つけば、それは私が傷つくようなものだ。私は車を愛しているし、お客様が愛する車を提供することは、一番の喜びだ」と涙を流しながら言ったニュースを見て、自分の名前が入った製品を作り、世の中に認めてもらえるチャンスがある人は世の中に何人いるのか。そのチャンスがあってもチャレンジする人もいれば、しない人もいる。その使命感・責任感はその立場にならなければ絶対に分からない、でも何よりものすごく夢がある事だと。父はメーカーにはならなかったからこそ、それをやりたいと私は強く思いました。

MAの発売日は私の誕生日(10月6日)に決めました。39歳の自分の誕生日に発売するって思っていたら、その3週間前に本部の第二事務所と倉庫が全焼する火事になるトラブルもありましたが、今では大変良い想い出です。結局、発売日を変更することもなく様々な方のご支援・ご協力があって、延期することなく発売できました。

熱意はすべてのものに勝る。

「オドロキ モノオキ マツモト物置」というキャッチコピーは『オドロキがなければ製品化はしない』。だから生産面とか採算面とかそういうことばかりを考えていたら、他の物置と同じになってしまうし、それでは面白くもない。儲かる儲からないより、やはり面白くないと。一番大切な熱意とエネルギーが生まれない。やりたいようにやらせてもらい、さらにお客様からマツモト物置を選んでいただけるという事は、フジ産業の今までやってきた事と、私の熱意がお客様や世間に少しでも認めてもらえた事だと思います。

PAGE-TOP